はじめまして。
4回生ATの野見山太樹と申します。
日頃より多大なるご声援を頂いておりますOBOGの皆様、いつも大変お世話になっております。この最後の一年間は特にOBOGの方々、応援していただいている皆様に支えられていると実感し、その偉大さに気づかされた年でした。心より感謝申し上げます。これからも引き続き立命館大学男子ラクロス部へ大きなご声援を頂けますようよろしくお願いいたします。
さて、ブログを回してくれたそうたは、鬼のクリース特化型プレイヤーです。いつもゴール付近から目を合わせてくれるので思わず、厳しいフィードを投げてしまうことが多々ありましたが、たまにびっくりするようなテクいショットで得点するので、ついつい投げすぎてしまいます。そんな彼はラクロス以外でも、色々な場面でテクニックを見せつけてきます。(ビリヤードとかその他諸々)他にも隠し持ってそうなので気になる人は調査してみてください。
紹介はここまでにして本題に入ります。
せっかくの引退ブログで、中々こんなに自分語りが許される場は無いので、過去の自分から振り返ってみようと思います。
まずこのラクロス人生が始まった原点はやはり高校時代にあると思います。
僕は高校入学と同時に野球部に入りましたが、怪我やらなんやらで二年生になる前に退部しています。10年以上していた野球をぱったりと。
その後は2年間帰宅部で、ずっと無駄な時間を過ごしていました。
このことが卒業しても悔しくてもどかしくて、後悔の念がずっとありました。
そんな時に出会ったのがラクロス部でした。
当時は「関西制覇するんだ」とかそういう高いモチベーションで入部したわけではなかったけれど、練習すればするほどラクロスが楽しくなっちゃて、気づいたらかなりはまってました。
そのままサマーは優勝と順調でしたがウィンターはチームも個人もダメダメでした。正直あまり覚えていません。(笑)そこまでの熱量を持てていなかったのかもしれません。どこか逃げていた部分があったとも思います。(たくみさんとはずっと3Gで一緒にいました楽しかったです。本当にお世話になりました。)
そんな中でもよく覚えているのはかっこいい先輩方の背中です。当時の四回生は本当にかっこよくて、優しくて、憧れでした。そんな憧れの先輩方でも関西決勝で敗れて関西2位。
結果はどうあれ、そんな先輩方をみてこんな風になりたいと思い、今後ラクロスをしていくようになります。
そんなこんなで気が付けば2回生。この一年はかなり波があったと記憶しています。
なので後悔は多いです。
けれど、それよりも得た財産のほうが大きいのでその話をします。
得たものそれは、チームとしての成功体験。全力で、本気で自分たちで変わろうとすれば変われるんだということです。
これは当時4回生だった奥村さんの代の先輩方が背中で教えてくれたものです。
その年のリーグ戦では、ほぼ全敗し、入れ替え戦へいきました。けれど、入れ替え戦までの一カ月でまるっきり別のチームへ変わりました。
特にジョグイン・ジョグバックの声掛けから始まった改革期が非常に懐かしいです。
この一カ月は本当に濃かったです。入れ替え戦の重圧を受けながら練習する先輩の姿、一部残留を後輩へ残そうとする先輩の姿を見て、自分も変われた気がします。
間違いなく、この一か月間が自分のラクロス人生の転機でした。
今、思い返すと、自分がミドルシュートを武器とし始めたのもこのころです。その成長も確実に先輩の姿に影響されたものでした。
そして入れ替え戦では見事勝利。チームは最高の形でシーズンを終えました。
本当にこの時の先輩方ありがとうございました。皆さんのおかげで今の僕があります。
皆さんの背中は今でも憧れです。
個人的には、少し活躍に物足りなさを感じていましたが、まだ二回生だからと甘えてしまっていました。この甘さが三回生に帰ってきます。
三回生は二部に降格した年です。個人ではとことん逃げ倒していた時期でした。
シーズン初めからリーグ戦までずっと謎のプレッシャー。上手いプレーを期待されているという自分の勘違いから、とことんボールを持つことから逃げていたような気がします。その結果リーグ戦は3戦出場しましたが、ミドルレンジでしか点が取れない。同期のかなめは神戸戦で1on1で点を取るのに、(しかもその年のMVPの神戸Lから)自分は0得点。それでも自分はショットだからと、逃げました。
努力しなかった自分が本当に恥ずかしいです。
そのまま時は流れて気づけば留学へ。アメリカに居ました。ここが第二の転機です。
ずっと留学先でラクロスをすることは決めていて、留学前から連絡を取り合っていたのでわりとスムーズに現地の部活に合流出来ました。決してラクロスのレベルが高かったわけではありませんでしたが、シンプルに自分の英語力が無さ過ぎて練習ではめちゃくちゃ苦労しました。(笑)
しかしここで一人のコーチと出会います。名前はクリフ。このコーチが僕のラクロススタイルを変えてくれました。なぜかラクロスの実力を認めてもらえた(?)のか、自分は起点を任されることが多くなりました。とにかく右ウィングでボールをもって1on1をしてスライドが飛んだら展開、飛ばないなら自分でショットまで行くというシンプルな戦術でしたが、とにかく練習中永遠にこの練習を繰り返しました。一日に何十回と、体のでかいアメリカ人と1on1をして、休みなく。。めちゃくちゃしんどかったです。しかしこの中で細かいダッチから視野の取り方まで、とにかく具体的に教えてくれたのがコーチクリフでした。コーチクリフは僕と同じで小柄だったこともあってめちゃくちゃ参考になりました。日本でもこんなにマンツーマンで細かいところまで教わる経験はなかったのでとても新鮮でいい経験でした。本当にありがとうございました。(このブログを読むことはないと思いますが(笑))
そもそもはじめは留学生という立場だったので試合に出れるかすらわかりませんでしたが、現地のチームメイトが学校と粘り強く交渉してくれたおかげでリーグ戦に出場することが出来ました。ばかでかいDFのアメフトみたいなハードタックルで死にかけたこともありましたが、違う地方まで遠征へ行ったり、みんなでべろべろに吐くまで飲んだり、毎週水曜日の練習後はTim’s Hawaiian というレストランでチキンカツを食べたり、最後には送別会まで開いてくれて本当に楽しかったしいい経験でした。このままアメリカでずっとラクロスしていたいとまで思っていました。温かく受け入れてくれた現地の仲間、留学へ快くいかせてくれた両親、立命の仲間たちには本当に感謝しています。

しかしそんな最中、立命館は二部降格。
本当に悔しかった。自分が何もできないもどかしさがすごくて、来年から二部として試合をすることが信じられなくて。自分が試合に出ていないのにも関わらず、めちゃくちゃ泣きました。それも三日くらい引きずっていたと思います。
そのあとどうやって立ち直ったのかはあまり覚えていません。日にち薬だったのかもしれませんが、気づいたらとにかく来年に一部奪還するんやという気持ちが強くなっていました。
この時期の同期は本当につらかったと思います。そんな時にチームに居なくて、力になれなくて本当に申し訳ない。そんな状況でも次の年に向けて何回もMTGを重ねてここまでチームを作ってきてくれたこと、本当に感謝しています。ありがとう。
そんなこんなで、惜しくもアメリカでの生活は終わり、日本へ帰ってきました。
帰ってきたら知らない間にもう最上回生。自分が先輩という立場でした。留学でチームビルディングに関わることが出来なかった分、自分はチームの技術的な部分や練習中の雰囲気にコミットしようと決めていました。アメリカで得た知識も少しではありますが、役に立てることが出来たのかなと思います。この部分は最後の一年はぶれなかったと思います。
そしてやはり立場の変化というのは、人を変えるもので。
僕は今まで、かっこいい先輩の背中を見てきたし、そうなりたいと思ってきました。
そして最上回生になって、今度は常に自分が先輩として後輩にかっこいい姿を見せられているのかと考えていました。僕の場合はこの考え方が良い方向に働いていたと思います。
練習中の意識も格段に変わったし、後輩への声のかけ方も変わりました。
そうなると逃げてばっかりだった僕もシーズン後半には逃げないように。戦術的影響もありましたが、がっつり対人で点を取りに行くように変わっていました。
もっとはやくこうなれていればと思うことばかりですが、最後だから気持ちを強くできたのかもしれません。
ちょっとだけ最後のリーグ戦の話をすると、前半は好調でした。ラクロスが楽しくてしょうがなかったです。しかし、第3戦追手門戦。十分な点を取れずに敗戦。ここからです。本当にしんどかった。
この試合が終わってから、本当に重圧に押しつぶされそうになっていきました。おこがましいかもしれないけれど、自分が点を取らないと、ショットを決めないと試合には勝てない。一部には上がれないと思って練習、試合に臨んでいました。
そして第5戦甲南戦。自分が15本もショットをうったのに0得点。それのせいで負けました。常にプレッシャーをかけてきたのに、またプレッシャーに負けました。状態は良かった。けど決めれなかった。
練習が足りなかったんだと思います。自分のプレイに責任感を感じるのが遅かった。
しかし、ここでかいしんが言った一言。「ここで負けておいてよかった。」
この一言に救われました。
幸いにもまだ、次の関大戦に勝てば一位通過の可能性がある。入れ替え戦までの道はまだ途絶えていない。ここですこし立ち直れたと思います。
そして第6戦関大戦。やっと勝てました。本当にうれしかったです。個人としても4得点。間違いなく、ラクロス人生一番のパフォーマンスでした。
特別な技術の変化があったわけではありませんでしたが、自分のプレイに責任を持って、自分がゴールを決めればチームは勝てると信じ続けた結果だと思います。追手門、甲南に負けていなければこのプレイは出来ませんでした。本当に今思うと、あそこで負けておいてよかったです。
そしてその勢いをそのままに入れ替え戦でも勝利を収め、一部昇格を決めて引退出来ました。ほんとによかったです。
長々と自分の話をしてしましましたが、とにかく、僕が後輩たちに伝えたいことは「かっこいい先輩であれ」「自分のプレーに責任を持て」ということです。
僕が後輩から見てかっこいい先輩であれたかどうかは分かりませんが、かっこいい先輩であろうとすれば自然と行動は良い方向へ変わると思います。僕のアルバイト先の店長が言っていた言葉ですが、「下のモチベーションを向上させるのは上の仕事」です。挫折しそうな後輩がいたら支えてあげてください。困っていたら助けてあげてください。上手いプレーしていたらとことん褒めてあげてください。モチベーションの挙げ方は人それぞれかもしれませんが、向き合ってあげてください。僕ももっと後輩に向き合えばよかったと後悔するばかりです。必ずそれが自分のため、チームのためにもなります。
僕がそうであったように、先輩としての背中は思っている以上に後輩に影響を与えます。かっこいい背中を見せてあげてください。
そして学年関係なく、「自分のプレーに責任をもつ」ということをしてほしい。これだけで本当に変わる。「自分はチームのあくまで一部だから」なんて思っていたら、「だれかが点をとってくれる」「だれかがちゃんと守ってくれる」なんて思っていたらチームは簡単に崩れます。真に強い立命館を取り戻すためにも、「絶対に自分が試合を決める」くらいの気持ちで責任をもってプレーしてください。その気持ちがチームを勝たせます。
ちょっと偉そうなことをかいてしまいましたがここからは感謝を述べます。
まずは両親から。
本当にいつ何時も支えてくれてありがとう。ラクロスをするうえでの金銭的な支援だけでなく、帰ったら家にご飯がある。部活の話を聞いてくれる。それだけでとても大きな支えになりました。小さい時は両親が試合を見に来るのはあんなに嫌だったのに、今は是非試合を見に来てほしいとまで思います。留学にも文句ひとつ言うことなく行かせてもらったし、本当に頭が上がりません。これからは僕が支える側に回りたいと思うので、もっと頼ってください。本当にありがとう。
ラクロス部で出会った先輩方へ。
本当に皆さんの背中はかっこよかったです。すこし生意気ですぐに調子に乗ってしまう僕だったかもしれませんが、優しくしていただきありがとうございます。今でも仲良くしていただいている先輩方もいるのでこれからもよろしくおねがいします。
同期へ。
俺が留学に行った時、チームをここまでつくってくれてありがとう。帰ってきたとき、実は半年ぶりにみんなに会うの緊張していました。けどすぐにみんな優しく受け入れてくれてうれしかったし、安心しました。みんながいなかったら4年間ラクロス続けられてないです。本当にありがとう。
コーチの方々へ。
僕たちだけでは、一部昇格を成し遂げることは出来ませんでした。常に方向性を示し続けてくれた大富さん、なんでも相談したら親身になって相談に乗ってくれるかなもとのアニキ。なぜかコーチボックスにいると安心する水上のアニキ。盛り上げ上手で常に明るい真也さん。皆さんがいたからどんな問題も乗り越えることが出来たし、一部昇格することが出来ました。今後の立命館もよろしくお願いします。本当にありがとうございました。

とても思いついたままに書いためちゃくちゃな文章を最後まで読んでいただいてありがとうございました。次のブログは名井遼太郎です。
それぞれの部位が規格外なサイズを誇る彼ですが、どんなことを考えて四年間をすごしていたのか個人的に気になります。手や足だけでなく、器量や心の大きさも規格外なところを、文章を通して示してくれることを期待します。
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